自殺、安楽死を否定することは出来ない。
ここ最近、医師の方がALSを患っている方へ安楽死を行った事件がニュースを騒がせています。
そして世間に議論を巻き起こしました。
安楽死を肯定するのか否定するのか、という。
とても難しい問題だと思います。
人によって、場面によっても変わってくるでしょう。
安易に肯定することもいけないのかも知れません。
でも、生きることこそ正しいと言う意見にも違和感を感じます。
ALSの患者様の絶望、苦痛は健常者には想像もつかない、とてつもないものだと思われます。
意識ははっきりとしているのに、体がコントロールを失っていく感覚。
耐え難い恐怖でしょう。
そして治療法の確立されていない現代において、ただ生きろと投げかけるのはご本人の意思を尊重されていないように感じました。
生きることが必ずしも正しいとは限らない、本当に悲しい、とてもつらい選択ですが、誰にとっても死ぬことが最悪では無いのかも知れないと思うのです。
生きることこそ最悪の選択で、苦痛しかない余生だとしたならば、どうして生きろと言えましょう。
ご本人が尊厳を持って死を選択したのならば、その意思を生きろという言葉で否定することは出来ません。
もちろん、生きていればささやかな喜びを感じることも、大きな喜びが待っている可能性もあるでしょう。
でも、生と死を天秤にかけた時に、どちらへ傾くのか、その最後の答えはやはりその人の意思が尊重されるべきだと思います。
個人的には、生きていればいいことがある、生きていなければ何も感じることが出来ないんだとそう思います。
でも、生きている時間に耐えがたい苦痛が襲い続けるのならば、ご本人がその戦いに疲れ、現世での旅を終える気持ちをかためられたのならば、ただただ安らかな眠りにつく時を見守りたいです。
自殺についてもそうです。
上手な生き方を見つけられないだけで、それにさえ気づけばきっと人生を楽しむことができると思います。
しかし、それを押し付けることは出来ません。
生きろ、生きていることこそ素晴らしいと思わせるのは生物としての生存本能がそう訴えかけてくるだけで、実は多くの人は深くまでは考えていないのでは?
と言う気さえします。
もちろん、自殺を考える理由にもよりますし、もしも、その原因が可能な努力で壊せるのであればきっと人生が劇的に変わるし、誰にだって輝けるチャンスがあると思います。
でも、その最後の答えを持っているのはやはりご本人なのです。
その答えに選択肢を増やすために、周りが働きかけるのは重要だと思います。
ご本人には行き止まりしか見つけられなかった迷路にも、違う視点から見た時に簡単に突破口が見つけられることがあります。
なので、大切なのはご本人の意思ですが、どうか死と向き合う前に少しだけ寄り道をして欲しいのです。
その行き止まりに見える迷路には、簡単に壊せる壁があるかも知れません。
あなたの人生の幸福を願います。
生と死の天秤を少しだけでいいので揺らしてみませんか。
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